何故ラスベガスなのか

マドンナやマイケルジャクソン、ポールサイモンにプリンス。 ビッグネームのアーティストが教えたくないネバダ州の利点。資産家がこぞってネバダ州に自分の会社を設立している理由をお教えします。


 

税制度の優位性

アメリカ国内ですのでFEDERAL TAX(連邦税)はネバダ州の法人も例外なく支払わなくてはいけませんが、個人と法人のSTATE INCOME TAX(州税) が存在しません。更に付け加えるとフランチャイズ、キャピタルストック、そしてインベントリータックスもありません。セールスタックスもネバダ州内で販売されたものにしか課税されません。

因みに主要な州の法人税は以下の通り(2010年度)

カリフォルニア州  8.84%

ニューヨーク州  7.10%

ハワイ州  4.40% ($0-$25,000未満)

5.40% ($25,000-$100,000未満)

6.40% ($100,000以上)

デラウェア州  8.70%

ネバダ州   ゼロ%

 

全く同じビジネスをしていても、選ぶ州によって上記のように利益に差が出てきます。これは決して見過ごすことの出来ない事実です。

プライバシーの高さ

株式のオーナーシップを州に提示する必要が無く、副社長(VICE PRESIDENT)やCEOとして会社を経営した場合、公の場に名前が出ることがありません。

年次更新に掛かるコストの低さ

アメリカの中でもネバダ州は年間に支払う登記料は他州に比べ低く設定されており、$125を支払うだけで会社を存続することが出来ます。

一人だけで企業設立可能

株式会社設立にあたり最低でもPresident(社長), Secretary(秘書役), Treasurer(財務役)の3役が必要で、ある州では別々の3人が最低必要ですが、ネバダ州は一人で3つの役職を兼任できます。また、 Directorも一人だけ設定可能でSole Directorとして機能することが認められています。

ネバダ州訪問は不必要

郵便、電話、ファックス、Eメール等のお申し込みで会社の設立ができますから、ネバダ州に実際に赴くこと無く会社設立のプロセスが終了します。また年に一度の会議(Annual Meeting)ですらネバダ州で行う必要はありません。

税務省への情報漏洩が無い

ネバダ州で設立された会社の内部情報はIRS(税務局)へ流れることがありません。これはアメリカ全州の中で唯一つネバダ州だけが持つ特性です。

取締役員や監査役員の保護

会社役員が起訴された場合の個人的な責任を保護する法令があります。下のデラウェア州が会社設立に適しているという誤解を参照

デラウェア州が会社設立に最適だという誤解

アメリカでは長い間株式会社を設立するのにはデラウェア州が一番よい州とされていました。事実、会社番付に出てくる優良企業の多数はデラウェア州で設立されました。これはデラウェア州が大企業に対して大きななアドバンテージを提供しているからで、多くの企業は政府からの干渉を避けるためにデラウェア州に本社を移動させたり新しく会社を設立しました。さて大企業に対するアドバンテージとは一体何でしょう。一言で言うと株主の権利を守る法律が提唱されているという事です。

しかし、小さな会社や株主も数人しかいない株式会社は株主の権利保護にはあまり関係なく、そのような会社に必要なのは実際に業務にあたる取締役や監査役のプロテクションなのです。

そしてそれこそがネバダ州の最大の長所なのです。デラウェア州でも取締役や監査役にそれなりの保護は与えられていますがネバダの法律とは比較になりません。あなたが会社のために良かれと思って取った処置が知らずに違法だった、会社の取締役として起訴されてしまった場合デラウェア州とネバダ州の会社では取締役の責任擁護の法律が違なり、ネバダ州のほうが断然有利なのです。

2001年6月15日に改定されたネバダ州法(NRS)78.037(1)は以下のことが示されています。「取締役や監査役が背任行為で株主や会社への損害を与えた場合でも個人的な責任を制限する。」背任行為と認められてすら個人的なプロテクションを提供している点においてはデラウェア州よりネバダ州の方が取締役や監査役に対しより有利な法律を提供していると言え、しかも最近の改定法案では2001年6月15日以降に法令NRS 78.138(7)が取締役や監査役の有限責任の記述は必要ないと定められた為に会社定款内で謳う必要もなくなっています。故意の不正行為や、詐欺行為、または法を犯していることを事前に知っていたということのみが取締役や監査役の無限責任へと繋がりますが、それ以外はの責任は保護されます。また、取締役の有限責任についてはデラウェア州では皆無に近く、また会社定款で取締役の有限責任が掲げられていても責任に問われることがあるのです。